京都府障害者基本計画についての見解
(96年7月1O日・議員団見解)
京都府は3月に障害者基本計画「『ひとりだち~京都から21』プラン」を発表しました。この計画は、障害者基本法にもとづくもので、都道府県の計画としては42番目にようやく策定されたものです。
1981年の「国連障害者年」と「国連・障害者の10年」、それにつづく「アジア太平洋障害者の10年」などの国際的な動きの中で、わが国々京都府においても障害者や家族、関係者は、たちおくれている障害者施策の抜本的な改善をねばりづよく求めてきました。今回の基本計画の策定は、こうした努力の成果であり、これを機に障害者の生活と人権、障害を持っていても人間らしく生きる保障、ノーマライゼブションの社会の確立に向けて、京都府の真剣なとりくみを迫っていかなければなリません。
障害者基本計画の策定にむけて日本共産党府会議員団は、くりかえし府議会で質問し、障害者の実態や要求を十分にふまえ、「てんかん・自閉症・難病」患者も障害者として施策の対象とすること、障害者の基本的人権、自立と社会参加を保障する介護体制の確立や生活施設の建設、雇用の確保、選挙権行使の保障をけじめ、親なきあとの対策、財源や人材の確保などをつよく求めてきました。
この計画は、「てんかん・自閉症・難病」患者も対象としたことや、障害者基本法や関の障害者プランにもとづく施策の一定の方向を示し、いくつかの新規事業を盛り込んではいるものの、全体としては障害者の願いに十分に応えるものとはなっていません。
問題の第1は、府計画が障害者の「完全参加と平等」を掲げ、「障害者の高齢化・重度化など新しい状況に対応する」今後10年にわたる「基本的指針」だとしていながら、施策の具体性が乏しく、この計画によっ1人ひとりの障害者の生活がどのように改善されるのかがまったく見えてこないことです。それは計画の数値目標や年次計画が示されていないことにも端的に示されています。国の障害者プランでは不十分ながら、わが国の障害者施策上はじめて数値目標が設定されましたし大阪府や宮崎県をけじめいくつかの府県の計画にも数値目標が示され、熊本県のように現行計画の見直しの際には数値目標を検討するとしているところもあるのにくらべ、本府の対応はまったく不十分です。
第2に、計画遂行のための財源対策もきわめて不明確だという点です。住民にもっとも身近な市町村が、障害者施策の推進に積極的にとりくむべきことは当然ですが、その財源をどうするかが大きな困難となっています。国の貧弱な予算規模が最大の問題ですが、京都府としての市町村への独自の財政支援も、府が直接責任を持つべき事業も明確になっていません。また京都府は、市町村にたいしておこなった計画策定指針の説明会において、「府の財源はまったくあてにしないように」などと発言していますが、これを聞いた市町村の担当者には、こんな府の姿勢ではとても計画はつくれない」「財政難で達成が困難となっている老人保健福祉計画の二の舞になってしまうのでは」との困惑も広がっています。
京都府の一般会計支出に占める身体障害者福祉費・精神薄弱者福祉費の割合をみても、最近では92年度決算の0.54%から年々低下し、計画実施の初年度である96年度当初予算では0.44%でしかおりません。当初予算編成後の計画策定という事情があるにせよ、計画のスタートからこれまでどおりの予算規模にとどまっていたのでは、計画の実効性が疑われるでしょう。
そのほか、施設や共同作業所などの職員をはじめ障害者福祉を支える専門的スタッフの養成とその労働条件の抜本的な改善、参政権の具体的な保障、ますます深刻な雇用問題の解決などについても、具体的な対策の強化が重要です。
また障害者施策に関連して、京都府は重度障害者医療費助成制度を改善するとしていますが、この際、障害者が安心して治療が受けられるよう、全国的にみてももっともきびしい本府の所得制限を撤廃するとともに、対象を3級まで拡大すること、入院給食費も助成の対象とすることなど、抜本的な改善をつよく求めるものです。
計画は「中間年に見直しをおこなう」としていますが、それ待ちになることなく、障害者をはじめとした府民の運動と世論で、真に障害者施策の拡充につながる計画となるよう、とりくみをつよめ広げていかなければなりません。日本共産党府会議員団転府民のみなさんと干を結んでいっそう奮闘するものです。
障害児の療育事業の拡充をはかれ
(96年12月5日・代表質問)
障害を持ったこどもたちにとって乳幼児期の一番大切な成長著しい時期に、最新の医療と高度な専門的訓練が機能的に活かされ、妊娠から出産、成人にいたる一貫した保健、医療、福祉の連携体制のシステムをつくりあげることが緊急に求められています。こうした問題は、少子化対策の観点からも重要です。
蜷川民主府政は1968年10月、当時、まだ通園療育というシステムが十分確立されていない状況のなか、関係者の強い要望にこたえて、就学前の心身に障害のある児童の母子通園訓練施設として向日が丘療育園を全国にさきがけて公立・公営で開設。民間施設で入所がむずかしいといわれた重度の障害児も積極的に受け入れ、障害の克服と発達に大きな成果をあげてきました。これまでの施設入所を主体にした療育から、地域の中で育ち合うこどもたちとして、療育園を核とし、府下各地で療育教室、障害児保育の実施へと広がりました。30年前の当時としては画期的なとりくみで、全国的にも早期療育の先進的な役割を担ってきました。