資料ライブラリー

政策と見解

「新京都府総合計画」についての基本的見解
 -「ソフト重視」の装いで、失政のツケを府民に押しつける総合計画-

2001/01/22 更新
この記事は 9 分で読めます。

 京都府は昨年末、21世紀初頭の基本方針となる「新京都府総合計画」(新府総)を発表した。マスコミは「ソフト重視に転換」「数値目標を盛り込む」などとしながらも、「ソフト事業は華やかに見えるが、とらえどころがないのも事実」とも報道している。

 知事は、この「新府総」をもとに「新しい世紀にふさわしい魅力ある京都府づくりをすすめていく」としているが、「新府総」がいう「一人一人がいきいきと暮らせる社会」、「たくましい地域経済」などを実現する保障はまったくないばかりか、府民にとって重大な問題をもった「計画」となっている。

 本来、地方自治体の「総合計画」は、住民の暮らしを豊かにするための、住宅や上下水道、病院、災害防止など生活基盤を高めるとともに、中小企業、農林漁業、地場産業など、地域経済振興を総合的・計画的にすすめるものでなければならない。ところが、自民党府政のもとで作られたこれまでの「総合開発計画」は、国の財界奉仕の「総合開発計画」の京都版であり、関西財界と京都財界の意向を受け、京都における大企業の生産活動を保障する開発計画となってきた。

 今回、こうした「総合開発計画」への、わが党議員団や府民の強い批判のもとで、「ソフト重視」「数値目標の設定」など、一定の改善は図られているが、基本的には従来の総合開発計画を踏襲するものとなっている。

 わが党議員団は、住民の暮らしの向上と京都の地域経済の振興を図る立場から、「新府総」についての基本的見解を明らかにし、その改善を強く求めるものである。

1)「4府総」の総括のない「新府総」―府民の暮らしの目線からの総括こそが求められる

 新しい計画をつくる時、これまでの「計画」の総括を行うことは当然の前提である。ところが、今回の「総合計画」は、「4府総」の総括抜きにつくられている。

 1991年度から2000年度の10年間、第4次京都府総合開発計画(4府総)がすすめられてきた。この「4府総」は「真の豊かさと均衡ある発展をめざして」をスローガンに、丹後リゾート開発や関西文化学術研究都市建設など、6つの大型開発プロジェクトで府域全体を覆い、大型開発をすすめることによって府民の暮らしが豊かになり、地域が発展するかのような幻想をふりまいた。

 しかし、レジャー産業や民間企業、ディベロッパーなど、大企業の儲け本位の進出に期待する「呼び込み型」の開発や「公共事業で景気回復を」とする経済政策が、完全に破綻、ゆきづまったことは、誰の目にも明らかである。

 知事は、議会の答弁で、高速道路や鉄道の電化など、基盤整備がすすんだことで、あたかも「4府総」が達成できたかのように述べているが、まったくのごまかしである。

 「リゾート法」にもとづく「丹後リゾート開発」は、地元市町も動員し、多額の税金をつぎ込みながら「行き止まりの道路」や「砂のつかないリゾート海岸」を残すなど、破綻した。高速道路の整備がすすみ、府北部の観光客は増えたが、宿泊客は減少し、地元の旅館や民宿の客は、誘致したホテルに流れ、ストロー効果で地域の活力を奪っている。

 「学研都市開発」でも、当初計画どおりに人口は増えないにもかかわらず、基盤整備の負担だけは地元自治体に重くのしかかり、周辺の既存地域との大きな較差を生み出した。

 また、「4府総」は「大型店との共存共栄」をいい、京都駅の「伊勢丹」や大型店の誘致を進めた結果、この10年間に5人未満の小売店が5軒に1軒も減少するなど、中小小売商店を廃業・倒産に追い込んできた。

 「4府総」は、「真の豊かさ」も「均衡ある発展」ももたらさず、京都府の事業所減少率は全国最悪(91年比で、マイナス9.54%、全国平均5.43%)で阪神大地震の打撃を受けた兵庫県をも上回っている。

 まさに、府民の暮らしや京都経済の実態を無視し、国と関西財界言いなりの「4府総」を押し進めた結果である。

 しかも、この「4府総」推進のため、借金は大幅に増え、府債残高は90年度末3,549億円から、今年度末には、約3倍・1兆350億円にも膨らんでいる。また、本来府民の暮らしのために使うべき税金を溜め込んだ基金も、まったく底をつく状態になっている。「4府総」は、府財政をも破綻させたのである。

 知事は、この「4府総」の到達を「21世紀に飛躍する京都府の舞台づくりはほぼ整いつつある」としているが、京都経済や府民の暮らし、さらには財政の状況をみれば、大きな「負の遺産」を21世紀に引き継いだのである。

 府民の前で「4府総」を「総括」出来ないのは、こうした破綻をおおいかくそうとするもので、「新府総」はその出発点から間違っていると指摘せざるを得ないのである。

2)新府総は「ソフト重視に転換」できるか

  「新府総」は、これまでの「総合開発計画」から、「開発」を消し、「総合計画」としている。また、プロジェクトも、「4府総」が、基盤整備中心の6つの広域プロジェクトであったのを、「京の子ども、夢・未来」「安心・長寿・生きがいの京都」など、7つの「創造プロジェクト」をならべ、「ソフト重視」への転換を装っている。これは、大型開発中心の4府総の破綻が、府民的規模で明らかになり、そのままでの「継続」が困難となった結果である。

 国の「新しい全国総合開発計画」(5全総-98年3月閣議決定)も「ソフト重視に転換」と特徴づけられたが、その中心は、6つの海峡横断道路計画や首都移転計画など、相変わらずのムダな大型公共事業が、その柱となっている。「ソフト重視」は、「開発優先」を覆い隠す、隠れ蓑となっているのである。

 京都府の「総合開発計画」も、もともと、国土開発の上位計画である「全総」や「新近畿創生計画」(すばるプラン)に束縛されるものである。そのうえ、知事は、これまでから「有利な起債の活用」など、国の財政を使った大型開発・公共事業優先の施策を無批判にすすめてきており、この反省なしには、新しい府政への転換はできない

 逆に、府財政が破綻状態にある中で、国の補助事業の導入や「有利な起債」など、これまで以上に国いいなりの府政運営になることは明らかであり、府民の期待にこたえた「ソフト重視への転換」はできない。国政では「公共事業50兆円、社会保障20兆円」という逆立ちした税金の使い方をただし、京都府政でも、国いいなりの大型公共事業中心から、府民の営業と暮らし第1の施策への転換が求められている。

3)新しい装いをこらした「新府総」の問題点

 以上「新府総」の基本的な問題点について述べたが、以下、全体にかかわる具体的問題点を明らかにし、その改善を求めるものである。

1. 府民の暮らしの実態分析がまったくない総合計画

 「新府総」の「計画」を作成するために、第1に求められることは、府民の声・願いにどうこたえるかである。

 今日、長引く不況のもとでの雇用不安と経営困難、国の医療や年金など国民への負担の押し付けのもと、府民の生活不安は増す一方である。ところが400ページにものぼる「計画書」では、与党議員も、「府民の現実の叫び声が全く聞こえてこない」と言わざるをえないほど、府民の暮らしと経営の実態には、まったく触れられていない。

 しかし、実態の分析なしに解決策を示す事は不可能である。「新府総」が、いくらばら色の将来像を示しても、「府民みんなの指針」とはならず、府民にとっては、「空虚」にしかうつらないのである。

 ここには、府民の暮らしと京都経済の実態を明らかにすることによって生じる府の責任を回避しようとする姿、同時に、府民の暮らしと京都経済の向上に真に立ち向かおうとしいない姿が示されている。

2. 「自助・自立」「地域の自立」論で、府の責任を棚上げする総合計画

 今回の「総合計画」の大きな特徴の1つは、その「計画の策定にあたって」の中で「自助・自立」「地域の自立」を強調していることである。この言葉は、これまでから福祉や医療を切り捨てるとき、必ず使われてきた言葉であり、地方自治法が定める「住民の福祉の増進を図ることを基本」とする地方自治体の役割を投げ捨てようとするものである。

 「新府総」が、いくら「安心・長寿・生きがいの京都」などの言葉で飾ってみても、「その実現は、『自助・自立』『地域の自立』で」ということになる。

 このことは、「数値目標」を見ても、市町村や府民の努力によって達成される性格のものが多く含まれている一方で、防災計画の危険個所の解消や医療過疎地域の解消や産廃問題など、本来、府の責任で行うべき課題の数値目標は定められていないなど、府の役割、責任があいまいにされている。「自助・自立」や「地域の自立」が強調されているのは、府財政が破綻状態にあるもとで、バラ色の「将来像」が実現できるかどうかは、府民の責任、地域の責任、市町村の責任だと、事実上府の責任を棚上げにするものである。

 すでに、知事は、「介護保険の利用料・保険料の減免制度実施のために、府が市町村の支援を」とわが党議員が求めたのに対して、「府と市町村の役割を明確に区別すべきだ」とことさら強調するなど、府の責任や財政負担を最小限にとどめようとする答弁をくりかえしている。ここに「自助・自立」論の本音が現れている。また、「地域の自立」の強調は、「自立」できる財政基盤を持つことを口実に、市町村合併を押しつける動きとも重なるものである。

3. 大型開発・大型公共事業を新しい装いですすめる総合計画

 第3章では、府下を6つの地域に分けて「地域別の整備の方向」を示しているが、これは「4府総」の6つの広域プロジェクトを基本的に引き継いでいる。府民生活に関わるソフト部分が抽象的であるのに比して、この部分は交通ネットワークの整備を中心に具体的である。市内高速道路・迎賓館・学研都市開発・関空2期工事など「5全総」や「すばるプラン」に掲げられたものはしっかりと書き込まれ、先に述べたとおり、ゼネコン奉仕の仕事確保がはかられている。また「ITバザール」は、まだ詳細は明らかにされていないが、新たな装いで財界奉仕の公共投資がすすめられることが懸念される。ITや科学技術の進歩が、京都の地場産業や中小企業の発展と結びつき、京都の産業の活性化に寄与すること、また「IT革命」の「光と影」を見据え、長期的な視野に立った対策こそが必要である。

4.「行財政改革」と「重点化」で府民に犠牲をおしつける総合計画

 新府総が対象とするこれからの10年は、1兆円をこえる借金の返済が本格的にはじまる10年である。来年度から年間約9千億円の府一般会計予算から1千億円以上を府債の元利返済に充てなければならない。新府総は、バラ色の「将来像」実現の責任を府民や市町村におしつけるだけではなく、府民サービスの切捨てで府民に新たな犠牲を押しつけようとするものである。すでに、「財政健全化」で、介護激励金の廃止や障害者団体への補助金の削減、私学助成の削減をすすめてきた。「公共事業の重点化」で、国直轄事業や大型公共事業の予算を増やす一方、生活道路の整備や交通安全施設など生活密着型の事業を切り捨ててきた。また、「行財政改革」で、教職員・府職員の人員削減をすすめてきた。

 福祉や医療、教育などの「ソフト重視」というのであれば、「財政健全化指針」にもとづく、福祉や医療の切捨てを止め、大型公共事業を見直し、府民の命や健康、暮らしや営業に関わる施策にこそ重点的に予算を回すべきである。

 また、子育て支援や教育、食料自給率の向上、さらには環境問題など、21世紀を展望して「放置できない課題」への重点的な予算の配分こそ求められている。

 なお、「基本計画」で「人権意識を高めるための、人権教育・啓発の推進」「人権の視点に配慮した施策の推進」が掲げられているが、これは、同和行政の終結が求められているとき、「差別意識は依然として根深い」とする「解同」の言い分に迎合し、同和問題の解決に逆行するものである。

 府総は、府民の暮らし・雇用・営業が大変で、京都経済そのものが大変なときに、バラ色の抽象的な「将来像」を描いているが、府民の共感を得られるものではない。

 日本共産党府会議員団は、「安心して働き、住みつづけられる京都を」と願う広範な府民のみなさんとともに、力をあわせて奮闘するものである。