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政策と見解

京都府長期計画「明日の京都」で、府民の暮らしと京都に明日が開けるのか?-「明日の京都」に対する日本共産党府会議員団の見解

2010/11/01 更新
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2010年11月
日本共産党京都府会議員団

 京都府はこれまでの10年単位の「総合計画」にかわる京都府の長期計画・「明日の京都」(中間案)を作成し、府民意見の募集や府議会での審談などを行い、11月定例議会で決定しようとしている。
 「明日の京都」は、「普遍的な行政運営の基本理念や原則等を示す『基本条例』」「めざす将来(10年~20年後)の京都府社会の姿を示す『長期ビジョン』」「それにむかう4~5年の戦略を示す『中期計画』」「地域資源を活かして特色ある地域振興を進めるための『地域振興計画』]の4つの構成となっている。
 これらが京都府と府民が直面する諸課題に適切に対処し、京都府と府民の「明日」を開くものとなるかどうか、日本共産党府会議員団としての見解を明らかにするものである。
 
1、「新京都府総合計画」めもと、府民の暮らしと地域、地方自治を壊してきた10年。
①「明日の京都」は、これまでの「総合計画」にかわる長期計画として定めるとしているが、「新京都府総合計画」 (2001年~2010年)の結果、府民の暮らし、地域経済、市町村は、今どうなっているかの現状分析も、総括もまったくなされていない。
 「新京都府総合計画」は、2010年をめざして「むすびあい、ともにひらく新世紀・京都」と題し、「一人一人が生き生きと暮らせる社会」「たくましい地域経済のもとで持続可能な発展をめざす社会」「ゆたかな社会基盤が支える快適でうるおいある社会」「文化・学術を創造し、世界に発信する社会」「人と自然が共生する循環型社会」をめざすとされ、丹後リゾート公園や舞鶴和田埠頭の建設、エコートピア京都三和工業団地、関西学術研究都市開発、福田川ダム、南丹ダム、畑川ダムの建設などが盛り込まれた。南丹ダムや福田川ダム等の計画は、破たんするなど一部中止に追い込まれたが、多額の府民の税金を使って公共投資が行われてきた。
 その結果、府の借金残高は、計画策定年次(2000年度末)に一般会計府債残高は1兆542億9700万円余(一般会計比122・1%)であったが、2010年度末1兆6597億3400万円余(一般会計比187・5%)へと6054億円(1・57倍)も増えているのである。
 この1O年間、この計画に基づいて本府の施策が行われ、「借金」も大きく増やしてきたが、その結果、府民の暮らし、地域経済がどうなったのか、現状分析も、総括もまったくあきらかにされていないのである。これでは、「無責任」な行政運営と言わなければならない。

②この10年間は、政府の「構造改革路線」とそれに「同感だ」とする山田知事のもとで、地域経済も府民の暮らしも深刻な事態に落ち込んできた。さらに、「地方分権改革」の名ですすめられた「市町村合併」や「行政改革」により、地方自治体の暮らしと福祉、地域を守る機能が失われ、病院や診療所の縮小・廃止、国民健康保険証の取り上げなど、住民の命すら守れない事態が生まれている。
 いま、求められているのは、破壊された地域経済と府民の暮らし、ふるさとの再生であり、地方自治・住民自治の再生の「計画」である。

2、「基本条例」について

①「基本条例」制定の目的は何なのか。

 すでに北海道や神奈川県をけじめ、多くの自治体で「自治基本条例」が制定されている。これらの「自治基本条例」は、「住民自治をどう具体化するか」を定めることを基木としており、全国でもっとも早く作られた北海道・ニセコ町の条例には住民投票が盛り込まれ全国から注目された。「自治基本条例」には、「市民の権利」として「生活権」「参加権」「情報公開請求権」などを規定しているものが多く制定されている。
 このように、本来、「自治基本条例」は、憲法と地方自治法をもとに、地方自治の本旨である「住民の福祉の増進」を目的とし。団体自治とともに住民自治をそれぞれの地方自治体でどう具体化するか、を定めることが求められているのである。
 ところが、京都府の「基本条例」なるものは、抽象的な理念をならべ、知事並びに行政執行機関の行政運営の「心得」ともいうべきものを「上から目線」で書いているにすぎず、これでは、府民が共有できる「自治基本条例」とはいえない。

②地方自治の本来の目標が抽象化され、あいまいにされている
 「基本条例」は、「府政は、府政運営及び地域づくりが次に掲げる基本的考え方(「基本理念」)にもとづきすすめられるように行うものjとして、「府民同士が尊重し合い、つながり、支え合う、人にやさしい社会を実現」「地域の魅力を高め合う自立した社会の実現」「府・市町村、府民。民間団体がともにその役割と特性を生かして、地域の課題を解決するための活動が豊かに展開される社会を実現」としている。
 ここには、地方自治体の本来の役割「住民の福祉の増進を図る」こと、具体的には憲法に定められた生存権や幸福追求権、教育を受ける権利、働く権利など、「住民の福祉の増進」にかかわることは何ら明らかにされていない。
 そのうえ、それらの課題の解決は「府民同士」や「自立した地域」により実現できるとされている。これは、府民と地域の「自己責任」で解決することを求めるものである。
 さらに、「府・市町村、府民、民間団体等が役割と特性をいかして、連携及び協働をし、地域の課題を解決する」としており、これまで府が果たしてきた公的な役割を、市町村や「民間団体等」、すなわちNPOなどのボランティア団体、さらには営利を目的とする経済団体に「民間委託」するなどして、府の公的な役割を縮小しようとするものである。
 これは、鳩山前首相の昨年9月の所信表明演説と同じ内容をもつものである。鳩山前首相は「私がめざしたいのは、人と人が支え合い、役に立ちあう『新しい公共』の概念です。『新しい公共』とは、人を支えるという役割を、『官』と言われる人たちだけで担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉など地域でかかわっておられる方々一人一人にも参加していただき、それを社会全体で応援しようという新しい価値観です」とのべ、「市民やNPOの活動を側面から支援していくことこそが21世紀の致治の役割だjと述べている。
 基本条例にあるのは、この鳩山演説と同じように、これからの地方自治体の役割を、縮小し、市民やNPOの活動を側面から支援する役割にとどめ、公務を民間企業の営利活動の対象にしようとするものである。

③「自治の主役は府民」はほど遠く、「住民自治」の権利保障はなし
 「自治の主役は府民」としているが、住民の府政への参画を保障するものとはなっていない。
 一つは、すでに基本条例を作った多くの自治体では「住民投票」について定めているように、住民自治を保障するうえで、重要な課題については「住民投票で決める」というのは当然のことである。ところが、京都府の「基木条例」には、この住民投票についてなんら定めていない。
 二つには、府政に関する情報について、「多様な方法で、かつ分かりやすい形で積極的に提供」としている。しかし、住民自治の基本は、住民の側に「知る権利」がおり、これを保障する責任が行政の側にある。「基本条例」では、これが行政の側の努力規定にとどまっている。
 このように、「自治の主役は府民」と書きながら、その府民の知る権利や決定に参画する権利の保障は、何ら明記されていないのである。

3、「長期ビジョン」について

①特異な時代認識の押し付けによる「自己責任」論

 「長期ビジョン」は、現在の社会を「『量』から『質』の時代へ、『もの』の豊かさを追い求めた時代から、人と人のきずなを結び、すべてのものを思いやる、『こころ』の豊かさを求める時代へと向かう歴史的な転換点」としている。
 一つは、これは、まったく府民の暮らしとかけ離れていることである。今日、安心して医療や介護が受けられない人たち、失業し、路頭に放り出された人たち、倒産・廃業の危機に直面している多くの業者、住み続けることのできない農山村に暮らす人々等々、こうした多くの府民に「『もの』の豊かさを追い求めるな、『こころ』のゆたかさこそ大事だ」と言い、こうした人々のいのちと暮らし、営業を支える自治体本来の役割を投げ捨てようとするものである。
 また、『多くの人々が日々の暮らしに不安を感じ、将来を見通すことができず、社会全体に閉塞感のようなものが漂っています』としているが、なぜ、こうした事態が生まれているのか、何ら原因の分析がされていない。
 二つには、知事が講演で、高度成長政策等により「『世界有数のナショナルミニマムを達成した』、これからは『自分で働いて、自分の足で立ってやってください。国は一定の役割を地方に対しては果たしましたよ。』と言わなければならない。」(平成20年7月の内外情勢調査会)と述べているのと同様の考えである。これはなにも山田知事だけの考えではなく、地方分権改革推進会議などでも「ナショナルミニマムはすでに多くの行政分野で達成している」との認識で、今後は、それぞれの地域の「自己責任」で「最適水準」を(「ローカルオプティマム」)定めるべきであるとするものである。ここには憲法が定めた国の責任・役割を放棄し、「地域のことは地域で決める」として、「財源確保も地域の責任。最適水準を高くすれば負担も高くなるのは当然で、自己責任」とするものである。これは、財界が狙う憲法が定めた社会保障や教育など「国の役割」放棄と一体のものである。
 「ビジョン」は、「新しい『質』と『こころ』の時代にふさわしい生き方や暮らし方、人と自然のかかわり方や持続可能な経済のあり方を自ら実践し、世界に示していくことが期待されています」とし、「『質』と『こころ』の時代を先導し、世界に発信し貢献する新しい京都の実現に向かって進んでいきたい」としている。このように府民の暮らしや地域経済の深刻な事態をどう切り開くかの展望はなんら示せない「ビジョン」となっている。

4、「中期計画」について
 「中期計画」は、「『長期ビジョン』でめざす京都府社会の姿に向かうための中期(~平成27年3月まで)の京都府の基本戦略を目的別に体系化」したものとされている。
 「計画」では、「府民安心の再構築」「地域共生の実現」「京都力の発揮」の3分野で、多くの項目が挙げられている。これらの中には、府民の切実な願いにこたえた項目も含まれてはいるか、見過ごすことのできない多くの問題点かおる。
 第一は、府民の暮らしを守る施策を後退させ、府民に新たな負担を押しつける計画が含まれていることである。
 住民の医療を受ける権利を保障する最後の砦ともいうべき市町村国保の「広域化」計画は、国の助成金削減を容認し、市町村一般会計からの繰り入れの負担をなくし、保険料の引き上げ押し付け、皆保険制度の崩壊を進めるものである。
 また、「税機構」による徴税の共同化だけでなく「課税業務の共同化」や「クレジット納付」などが挙げられている。これは市町村の総合行政を壊し、納税者・住民の権利を侵害するものである。さらに「クレジット納付」で、借金をさせてでも税金を払わせようとするものである。
 「中期計画を推進するために」の項では、「600億円の行財政改革の実施」を掲げ、府民サービスの第一線で働く府職員のひきつづく削減や生活保護世帯や難病患者への一方的な見舞金の廃止のように、「事業見直し」によって弱い立場の人々への施策の打ち切りが進められようとしている。
 第二は、府民の暮らしと地域を守る上で、重要な課題が置き去りにされている計画である。
 いま、府民にとってきわめて重要な課題となっている「雇用」対策では、不安定雇用をどう解消するのか、何らふれず、「常用雇用化の支援」としているが、これは期間工や契約社員、パートなど不安定雇用を含む「常用雇用」の支援にとどめている。また、これまで不安定雇用拡大の口実になってきた「多様な働き方の導入推進」もかかげている。
 「中小企業支援」でも、「高度化や人材育成、技術開発」「産学公連携による研究・技術開発」「中国において試作やエコ、ウェルネスの販路開拓」など、先端技術や新産業などへの支援に限られており、「成果目標」で「倒産・廃業が減ること」としながら、「実現目標」では、「設定水準」「数値目標」は「保留」とされている。本当に、倒産や廃業を減らすというのなら倒産、廃業に追い込まれる中小企業に対する固定費への支援や、大企業による下請け切り、単価切り下げをやめさせるための、効果ある対策こそ求められている。
 農林漁業においても、「農業就業人口の減少と、全国を上回る高齢化が進行」としながら、その最大の要因である「再生産すら保障されない」農林水産物の価格対策についてはまったくふれられていない。
 第三に、府民の切実な願いにこたえて課題としてあげながら、その具体化を極めてあいまいにした「計画」である。
 子どもの医療助成制度の拡充も掲げられているが、その助成対象年齢や実施時期については、なんら示さず、また、「社会的に弱い立場の方などへの医療費助成制度の拡充」とされているが、65歳から69歳までの高齢者の医療費負担を1割に据え置くことや難病患者の「療養見舞金」の復活などは明記されていない。
 また、「24時間医療サービスがより安心して受けられるようになること」を成果目標に掲げているが、北部地域の救命救急の体制や南丹地域や山城地域においても医師不足が極めて深刻になっていることにどう対処するのか、極めて不十分となっている。
 このように、「新京都府総合計画」の総括もされず、「長期ビジョン」において、「心の豊かさを求める時代へ向かう歴史的転換点」という特異な時代認識が土台となっているため、「中期計画」は府民の暮らしと地域経済を再生させる計画とは、ほど遠いものである。

5、「地域振興計画」について
 山城・南丹・中丹・丹後のそれぞれの「地域振興計画」には、これまで取り組まれてきている地域のとりくみや課題が列挙されている。これらが、真に地域振興に役立つものとなるかどうかは、それぞれの課題について、住民の参加を保障し、住民の意見を反映すること、さらには、財政的保障を行うことなどが求められる。
 いま、地域経済と地方自治は深刻な危機のもとにある。第一には、「構造改革」「規制緩和」によって住民の福祉と暮らしが破壊され、中小企業、地場産業、農林漁業など地域経済を衰退させてきた。
 第二に、この間進められてきた「地方分権改革」で地方自治体のまともな機能を破壊してきた。こうした事態のもとで、京都府に求められているのは、住民のいのちと暮らし、地域経済を守るために、その役割を発揮することであり、そうしてこそ府民にとっての「明日の京都」を切り開くことができる。ところが京都府がいま作ろうとしている「明日の京都」の「基本条例」や「長期ビジョン」、「中期計画」は、こうした地方自治体の本来の役割を投げ捨てる方向に進もうとするものである。
 わが党議員団は、府民のみなさんと力を合わせ。窓法と地方自治をいかし、暮らしと地域・ふるさとの再生のため奮闘するものである。

以上