格差を広げ、競争を激化させる「公立高校改革」でいいのでしょうか。今こそ高校教育と入試制度のあり方について府民的な論議をよびかけます。
2012年9月18日 日本共産党府会議員団
はじめに
本年8月、「京都市・乙訓地域公立高等学校教育制度に係る懇談会」は、昨年秋からの議論の「まとめ」を京都府教育委員会に提出しました。
京都府教育委員会は、この懇談会の「まとめ」をもとに、「京都府の戦後の公教育の総仕上げ」としての入学者選抜制度を中心とした新たな「京都市・乙訓地域公立高校教育制度」を近く発表しようとしています。
貧困と格差が広がる中で、保護者の皆さんは、「せめて子どもには豊かな教育を受けさせたい」という親心から、厳しい家計負担をやり繰りしながら、高校や大学への進学に頭を悩ませておられます。すべての子どもたちに豊かな教育を保障することを多くの府民のみなさんは願っておられます。しかし、このままいけば、今よりもさらに学校ごとの学力格差と序列が広がり、高校の受検競争を激化させるなど、生徒たちや保護者のみなさんの願いにそむく方向に進んでいくことを危惧せざるを得ません。
そこで、私たちは、今回の「懇談会のまとめ」の問題点とこれまでの高校教育制度の施策遂行の当事者である府教育委員会の責任を問うとともに、今の時代にふさわしい本来の高校教育制度のあり方について、府民の皆さんと共に考えていきたいと思います。
これまでの高校教育制度でおこってきたさまざまな問題一制度が変わるごとに保護者・子どもはふり回されてきました。
京都府の公立高校教育制度は、1985年以前までは、総合制・小学区制・男女共学制の「高校三原則」のもと、公立高校合格者はすべて地域の高校で学び、学校間には格差も序列もなく、どの高校に入学しても同等の教育条件が保障されてきました。
ところが、1985年に、「受験生が自由に高校を選べない」という理由で、類・類型制度が導入され学校選択が認められるようになりました。その後、Ⅱ類だけでなく、洛北高校や園部高校に中高一貫校が併設され、嵯峨野や堀川高校に大学進学を強調する探求科などの専門学科が併設されたのを始めとして、「学校を選ぶ」施策が行われてきました。Ⅰ類は、「総合選抜」によって「地域の学校」で学ぶことが保障されてきましたが、その中でも学校を選ぶ「希望枠」や「特色選抜」の拡大が進められてきました。その結果、高校の地域性は崩され、高い交通費と長時間の通学を余儀なくされる生徒も増えてきました。同時に高校閲での学力格差が広がり、高校の序列化も進み、受験競争の激化の中で、子どもたちは大きなストレスにさらされ続けています。
「懇談会まとめ」では4つの方向性が示されています
①「類・類型制」を廃止する
②普通科I類「総合選抜」を廃止し、単独選抜にする
③京都市北・南通学圏を統合し、1つにする
④入学選抜方法に「学校裁量の導入」を検討
何が問題なのでしょうか
①「類・類型制」の廃止について
Ⅱ類を中心に大学への進学競争が強まり、大学合格数をもとにした学校間の序列が助長されてきました。生徒は7時間授業や学習合宿を強いられ、「勉強ばかりで部活や学校生活を楽しめない」という不満から、年々志願者のⅡ類離れが進んできました。また、Ⅰ類・Ⅱ類の生徒間の「ミゾ」ができ、学校行事での矛盾や問題も起こるなど、この制度はすでに破綻しています。固定されたコースに生徒を振り分けるのではなく、さまざまな生徒を一緒に受け入れ、生徒たちの豊かな交流と学び合いの機会をつくることこそ必要です。このため、廃止することは当然だと考えますが、教育委員会として、類・類型制が破綻したことの検証と総括をすべきではないでしょうか。
②総合選抜から単独選抜に変更し、北・南通学圏を1つに拡大することについて
すでに通学圏を一つに拡大し、「単独選抜」を実施している山城通学圏では、学校間の学力による序列化か進んでいます。その中で、中学校の進路指導段階で志望校の受験をあきらめざるを得ず、一般入試で合格する力があるのに、ウデ試しに受けた高倍率の特色選抜に落ちて自信をなくし、志望校を変更する受験生が後を絶ちません。その結果、比較約、学力上位といわれる高校が定員割れを起こす事態が続いています。また、学力的にも生活指導上も困難な生徒が遠方から集中する学校が生まれ、高額な通学費負担や長時間通学、中途退学、原級留置の増加も報告されています。
多くの中学生は「地元地域の高校で学ぶ」ことを願っていますが、通学圏を拡大すれば受験できる生徒数が増えることになり、人気のある高校により多くの希望が集中することは避けられません。地元の中学生が入れる枠がなくなるのです。
また、懇談会の委員から出された「単独選抜になれば人気、不人気校がわかりやすくなる。不人気校になった時、それを打開する具体的な方法を学校は持ち合わせているのか」との意見の検討もまともにされていません。
③入学選抜方法の「学校裁量の導入」の検討について
これまでの共通の学力検査問題や判定基準から、教科ごとの傾斜配点、実技検査の実施、報告書の比率の弾力化など、各高校・学科等の特色に応じて、高校独自の裁量で実施することも望ましいとされています。このような高校独自の入試を実施することになれば、中学校だけでは入試に対応できにくく、塾などに頼らざるを得なくなり、ますます経済格差が教育格差につながってしまうのではないでしょうか。
このような今回の「まとめ」の方向で「京都市・乙訓地域公立高等学校教育制度」改定が行われれば、生徒が高校を選べるどころか、ますます高校が生徒を選ぶようになり、学校間の格差と序列、競争を広げることになることは明らかではないでしょうか。
問われる京都府教育委員会の責任
今回の懇談会の中で、委員から出された、現状の入試制度について多くの矛盾と課題があるという意見について、そもそもこれまで相次いで高校制度を変更してきた当事者である教育委員会自身からは、何ら責任ある説明がされていません。
また、懇談会の途中で急遽集めた、生徒と保護者の「意識調査」の結果を府民ニーズとして単独選抜導入の根拠にしています。しかし、設問は「公立高校の入試で、それぞれの高校の特色や自分が高校でやりたいことなどに応じて、志願先の高校を自由に選べることについてどう思われますか」となっており、誰でも「いいと思う」と答えるのは当然ではないでしょうか。
一方、「生徒と保護者が高校進学を考える時、大切にする理由について」の設問の答えでは、「校風」に次いで「通学距離」がどちらも2番目に高かったにもかかわらずこの点については、懇談会ではほとんどまともに議論がされず、高校を「選べる」ことが何よりも優先されていることをみれば今回の意識調査は、はじめから京都府教育委員会の結論ありきで実施されたものだと言わざるを得ないと考えます。
また、先に紹介した山城通学圏で起こっている矛盾と問題点について、府教育委員会としてまともに検証もせず、それどころか山城通学圏では「毎年95%以上が第一希望で入学してきている」と、実態をみない答弁を繰り返していることも極めて問題です。
現在、大阪市の橋下市長が進める「教育改革」では、公立高校の学区を撤廃し、特定の高校を「進学指導特色校」に指定することや、公立と私学を競わせ、定員割れが3年続く場合は補助金カットや統廃合を押しつけようとしています。すでに京都府内でも、府立城南高校と西宇治高校が強引に統合された経過をみても、高校統廃合の方向に京都府教育委員会は進もうとしているのではないでしょうか。
現在、議論されている文科省の中教審「高校教育部会」では当初、高校を「リーダー層やグローバル社会において国際的に活躍できる人材育成をめざす」「自立して社会生活・職業生活を営む基礎的な能力の育成を目差す」ことなど、いわゆる少数の超エリートを育成する高校と、その他の産業基盤を支える従順な労働者を育成するための高校に大きく分けようとする議論が進められていました。しかし、最近では、学校を類型分けし15歳の入り口で「人材像」を固め、高校生の多様な選択肢を閉ざし、さらなる格差をつくることについて、社会的な批判が強まり、委員会の中でさえ疑問や反発が相次ぎ、こういった高校のあり方について見直しを余儀なくされているのが実態です。
また、すでにいくつかの県でも、単独選抜や入試の多様化の結果、子どもたちを激しい受験競争に追い立て、学校間の学力格差が固定化されてしまったという反省のもと、高校再編整備の撤回や選抜制度の多様化の是正が始まっていますが、京都府教育委員会が進めようとしている方向はこうした流れに逆行するものとなっています。
希望すれば地元の高校に通え、どの高校でも生徒の可能性を広げられる高校改革に
現在、京都府内では高校進学率は99%となり、もはや高校に進学するのは特別ではなくなりました。さらに高校無償化へと進み、社会全体で子どもたちの学びを支えることが定着しつつあります。また、20代の青年の4人に1人が大学を出ても非正規労働者となっている雇用実態や、中学校までに必要な学力が身につかないまま高校に入学し、ついていけない生徒が増えている状況はますます深刻になっています。このため、京都府内のどの学校に行っても、高校生の「どう生きるか」という問いを励まし、高校3年間で高校生自身が進路を選択できる力を育て、その可能性を広げられるようにすることや、地元の高校に行きたい子どもが行けるよう保障することこそ高校教育制度改革の大前提ではないでしょうか。
これまで日本は、国連・子どもの権利委員会から「高度に競争的な教育制度のストレスなどが子どもの発達をゆがめている」と繰り返し是正の勧告をうけてきました。日本共産党府議会議員団は、いま検討されている、受験競争を激化させ、格差を広げ、序列をすすめてしまうような制度「改革」ではなく、本来あるべき後期中等教育のあり方そのものについて、当事者である中高校生をはじめ、教職員、専門の教育学者などを含め、府民的な議論を重ねることを心から呼びかけます。