◎府会議員団は同和問題について、以下の見解を発表しましたので紹介します。
来年三月で、すべての同和行政を終結し、一般行政への移行こそ求められている
-さまざまな口実で、同和行政の継続を主張する自民党の代表質問への見解-
世論に押され「同和事業の終結」を言わざるをえなくなった自民党
いま、同和間題は重要な局面を迎えている。同和対策事業特別措置法(以下「同特法」)から開始された同和行政の27年が経過し、その「最終法」とされた「地域改善財特法」の期限切れを来年3月にひかえ、同和行政を終結するのか、部落解放同盟(以下「解同」)いいなりで半永久的に継続するのかが鋭く問われている。
わが党は、「同和行政とは、生活環境などの格差をなくすために一般行政を補完して行なわれてきた行政上の特別措置であり」、京都府が実施した「同和地区実態把握等調査」でも明らかなように「同和行政の進行を通して、一般地域と同和地域との格差は明らかに解消されていること」、さらに「特定の地域を同和地区と指定し、その地域に事業や施策を実施する特別対策であることから同和地区を周辺地域と隔てる性格を本来もっている」ことから、「一定期間以上にわたって継続実施するならば、同和地域内外の社会的交流と融合、自立を逆に阻害し、同和問題の解決に逆効果をもたらす」と、繰り返し同和行政の終結を要求してきた。
こうしたなかで、府議会6月定例会の代表質間にたった四方議員は、自民党としてははじめて、①「物的な基盤事業」は「来年3月末で打ち切り、一般施策に移行する」②「個人給付」は「目的を達したものは廃止」「大幅に所得制限を導入」するなど「一般施策にちかづける」③「隣保館、保育園、学習センターなどは周辺地区に開放し、だれでもが利用できるものにする」ことなどを主張した.
これらは、いままでわが議員団が繰り返し、指摘し、府民の大きな世論となってきたものを、自民党議員団としても認めざるをえなくなったことをあらわしている。
しかし、同時に四方議員は「意識の改善は『未だし』」として、「教育・啓発は引き続きすすめなければならない」としているが、これは国民の今日の意識状況や行政の役割を正しく見ないものであり、「差別は拡大再生産している」として同和事業の固定化、永久化を求める「解同」の主張に迎合したものといわなければならない。
同和問題を阻害している「主体性のない同和行政」と「啓発」
四方議員は、「啓発の継続」を主張しているが、これは今日の実態を見ない主張であり、行政の役割論としても誤った主張である。
このことはすでに、1986年(昭和61)「地対協意見具申」でも明らかにされたように、今日問題となっているのは、「昔ながらの非合理な因習的な差別意識」と同時に、「行政の主体性の欠如」、「同和関係者の自立、向上の精神の涵養の視点の軽視」、「えせ同和行為の横行」、「同和問題についての自由な意見の潜在化傾向」などの中で生まれた「新たな差別意識」である。1987年(昭和62)の「地域改善対策啓発推進指針」では「確認・糾弾行為も…一般国民にこわいという意識とともに、接触を避けたほうが懸命という意識を助長している」と厳しく指摘し、「行政の主体性を確立すること」がなければ「新たな差別感を行政機関自らがつくりだすことになり、同和問題の解決に逆行する」と指摘しているのである。ところが京都府当局は、「解同」が、この「啓発指針」を「差別文書」として「粉砕」を叫んだことから、総務庁長官官房地域改善対策室の公式文書であるにもかかわらず、当初は府下市町村にもおろさず、わが議員団の追及で、ようやく「参考文書」として扱う状況であった。府当局は、今日でもこの「啓発指針」を無視し、「解同」の「確認・糾弾会」に出席、容認しつづけ、さらに「解同」に屈伏した「主体性」のない行政対応を続けているのである。
今日の府民の意識状況は「最大の課題」とされてきた結婚問題でも、大きく解消にむかっていることは、「実態調査結果」でも20、30歳代の同和地区関係者の一般地域の人々との結婚が、それぞれ67.5%、57.1%となっていることにも示されている。これは、社会の進歩のなかで、古い「因習的な差別意識」が明らかに解消にむかっており、若い世代にそのことが端的にあらわれてきていることを示している。今後も社会の民主的発展とともに、こうした流れが大きく前進することは疑いのないことである。
今日、同和問題の解決にとって重大な問題は「確認・糾弾会」が行なわれることによって「同和問題はこわい問題、面倒な問題」とする考えや、同和問題について「自由にものが言えない」状況がつくりだされてきたことである。さらに、格差の解消が歴然としているもとでも、不公正な同和行政が拡大され、「ねたみ意識」や「逆差別意識」をつくりだしていることである。たとえば、一般地域の農家には、大幅な減反が押しつけられるもとで、同和地区だけが例外扱いされている結果、住民の中には「なんであの人たちには減反を言わないのか」との声とともに「それは言うな。あそこは特別なんだ」と「あらたな差別意識」をつぐりだしているのである。また、同和地区の高校生が「個人給付はもうやめてほしい。『他の生徒からおまえらはええなあ』とからかわれる」と訴えているように、子供たちのなかにもあらたな問題を発生させているのである。
このように行政が主体性のない、「解同」いいなりの同和行政をつづけ、「すべての府民がなんらかの差別意識を持っている」として、その摘発と行政による「啓発」を府民に押しつけているやり方こそ、「差別意識解消」を妨害しているのである。
社会教育における行政の役割は、住民自身の自主的な社会教育活動の条件を整備、促進することであり、内容に行政が介入することは許されないことである。ところが行政の同和啓発は、「解同」の「差別事象」などを口実にした「差別意識は根深い。行政の貴任だ」との追及に屈して、学校教育や地域、職場に「啓発」を強要するものとなっている。
さらに、昨年、京都府が制定した「個人情報保護条例」は、わが党議員団の反対を押し切って、国や京都市、他府県にも見られない「民間事業者の情報蒐集」まで、その規制の対象にし、「差別につながる恐れかおる場合」「是正の勧告」「事業者の公表」を行なうこととしている。「解同」はさっそく「1996年度運動方針」で「あらゆる差別事件を徹底的に糾弾」することを三大方針のひとつに位置付け、この条例の「各地での積極的な活用」を決めている。まさに、「解同」の「確認・糾弾」をさらに押し広げる役割を京都府がはたそうとしているのである。
「啓発の継続」は、「差別意識の解消」に役立つどころか、「新たな差別意識」を府民のなかに生み出すという、同和問題の解決に逆行するものであることはあきらかである。
「同和教育」を終結し、どの子も伸びる教育を
また、四方議員は「同和教育の継続」の必要性も主張したが、今日の学校教育の実態は、同和教育の終結、どの子も伸びる教育の充実をこそ求めているのである。
戦後の同和教育の実践は、長欠、不就学の子供を学校につれ戻すとりくみからはじめられた。部落の子供たちは学校にいきたくてもいけない生活状況にあり、親への説得も含め教師が大変な努力を払ってきた。しかし、今日ではこのような状況にないことは「実態調査結果のまとめ」でも「長欠・不就学はほぼ解決した」としているとおり明らかである。今日の不登校や、登校拒否の問題は、部落問題。同和教育の課題ではなく、教育全体の課題として取り組むことこそ求めている。
学力問題でも、同和地区の子供たちが、もはや同和地区ゆえの低学力問題を抱えていないことは明らかである。府下のある小学校の国語、算数の調査結果でも、90%の同和地区の子供たちが、全国平均を上回る学力を身につけていることが明らかとなっている。
府当局は同和教育を継続・強化する口実をもうけるために、こんどは大学進学率を問題としているが、大学進学はほとんどの生徒が高校進学する現状とは異なり、大学に進学するか、しないかはその生徒の生き方、進路選択にもかかわる問題であり、教育行政が「中等教育の保障」という点で充実をはかる問題とは別問題である。
さらに、同和地区の子供たちの非行・暴力の克服も同和教育にとって重要な課題であった。問題を起こす児童の多くが同和地区の児童であった時期には、これらの子供たちと深くかかわって、問題発生の要因となっていた同和地区の生活環境の劣悪さや、貧困に立ち向い、これを打開するねばりづよいとりくみがすすめられてきた。しかし、今日の非行・暴力問題、さらにいじめの問題は同和地区内外の子供を問わず、広がり、社会問題化しているのであり、これを同和地区の子供の問題としてとらえることができないことはだれがみても明らかである。
人権問題として同和教育をすすめるという課題も、今日、子供たちの実生活のなかに部落問題が存在しなくなっているもとで、部落問題だけを特別の人権問題などとして、道徳やホームルームの時間を特別にさいて、繰り返し押しつけることは、「また同和か」「私らには関係ない」などと、人権意識形成に何ら役立たないどころか、同和問題の解決に逆行する事態を生むことは明らかである。今日の子供たちに人権問題を学習させるうえで重要なことは、いじめや障害者問題など子供たちが直面している問題を通じてこそ、真の効果があげられるということである。
このように、どの問題をとっても同和教育を継続する理由は成り立たないのであり、同和加配やセンター学習、さらには同和地区の子供たちだけの補習などを継続することが、子供たちに「あらたな差別意識」をつくりだし、同和地区の子供たちの自立を妨げているのである。
さらに、「啓発指針」が「差別発言等を契機に、学校現場に糾弾闘争、その他民間運動団体の圧力などを持ち込まないこと」「教育委員会および学校は、断固その圧力を排除すべきである」と、きびしく指摘しているにかかわらず、府教委は児童の「差別発言」を口実にした「解同」の乱暴な教育への介入をそのまま受け入れているのである。こうした事態をただちに是正することこそ求められている。
「解同」の横暴とたたかい、部落問題解決に大きな役割をはたしてきた日本共産党
四方議員も、これまでの同和行政について「歪み」や「一部にゆきすぎがあった」ことなどを認め、「来年3月までに軟着陸し、一般行政に移行すべき」であったのに、なお「過渡的措置を必要としている」のは「そのつど問題を先送りしてきた行政体質」にあり「あらためなければならない」としている。
しかし、この「歪み」や「ゆきすぎ」がなぜ生まれ、「問題を先送りしてきた行政体質」とは何なのかは一切ふれていないが、このような事態を生んだ原因は明白である。それは一般地区との格差を解消する目的ではじめられた同和行政を、「解同」が「自主的な運動と緊密な調和」を保つことを求めた「同対審」答申を悪用し、「窓口一本化」や際限のない同和事業の肥大化を要求し、これに行政が屈伏してきたところにあることは明らかである。
四方議員は、この「解同」や京都府政への批判はまったく抜きに、わが党に対し「同対審」答申を全面否定しているかのごとく事実に反する攻撃を行なったが、これはすでに本会議場で岩田理事が事実に反するものとして、その「取り消しと謝罪」を要求している。 わが党の「同対審」や「同特法」に対する態度は、当時のわが党の見解や国会での態度で明確である。1969年「同特法」が成立したとき、わが党は「賛成」し、岩間参議院議員が談話で「自民党政府を立法化に追い込んだことは、未解放部落住民と部落解放同盟が、わが党をはじめとする民主勢力と共同してたたかってきた一定の成果である」と表明。同時に「同特法」が、「同対審」が「総合対策」の必要性を強調しているにもかかわらず、「環境改善」の枠内にとどめていること、国の責任をあいまいにし、地方自治体に肩代わりさせていることなど「同対審答申の積極面さえも十分に生かし切っていない」と批判したのである。この事実だけでも、四方議員のわが党への攻撃に全く根拠がないことは明らかである。
また、わが党が「同対審」の設置と「同特法」の成立のために積極的にたたかってきたことは、その経過をみても明らかである。1958年1月部落解放「国策」樹立要請全国会議が大きな盛り上がりをつくりだし、自民党から三木政調会長も出席せざるをえない事態をつくりだしたのも、日本共産党をはじめ広範な民主勢力の力によるものであったこと、そして同年10月、この運動の力で「同対審」が設置されたことは歴史の事実である。
さらに四方議員は、わが党の本府をはじめとした自治体の同和行政に対する批判をもって、行政の役割の全面否定であるかのように言っているが、これもまったく的はずれである。近年、わが党が同和行政に厳しい批判をくわえてきたのは、行政が自らの主体性を失い、「解同」言いなりで「窓口一本化」「不公正・乱脈な同和行政」「同和行政固定化・永久化への加担」など同和問題の解決どころか、それに逆行する行政をすすめてきたことへの批判であり、このことこそ同和問題の正しい解決をめざす政党のとるべき立場であったことは、前述のとおり明らかである。
だからこそ、四方議員も「ゆがみ」や「ゆきすぎ」、「行政体質」を問題にしなければならなかったのである。
部落差別を二一世紀へ持ちこさないために
今日、同和問題を解決し、部落差別を21世紀へ持ち越さないために求められていることは、「解同」の誤った運動にきっぱりとした態度をとり、行政の主体性を発揮をして、同和行政を終結し、一般行政へ移行することである。
同時にわが党は、同和対策としてすすめられてきた職員配置や膨大な起債の残高など府下自治体がかかえる諸問題については、当然、国、府、そして関係市町のそれぞれの責任を明確にし、住民の負担とならないよう解決を求めるものである。